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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

戯曲 不覚文覚荒法師・・・芸文館公演


   「荒法師文覚」の公演画像です


   吉馴 悠の一人芝居集より

  「西行物語」より 一人芝居



                    一「恨の藤戸は・・」

                    二「紫しだれ櫻」

   三「花しぐれ西行」

                    四「不覚文覚荒法師」

                        五「堀河西山庵草紙」

    
不覚文覚荒法師            吉 馴  悠



              背景

              時代は、平安から鎌倉へ流れる。

              白河法皇の北面の武士、遠藤盛遠、後の荒法師文覚。

              朝廷の公卿の政治正に終焉を遂げる刻端が「平家物語」時を跨ぎ、源 頼朝、後白

河に関わり一粒の泡に帰りし文覚の姿が、ここに語られる。文覚の正式な資料は皆

無であり、平安の人の生き様、鎌倉の時代背景 元に想像するしかない。

              異論もあろうが、ここに文覚を新しい、いや、歴史伝承を無視しつつ、人間としての

生の生を書きたい思って取り掛かった。



              一舞台は熊野の荒行の様、

              一伊豆、奈古屋の奥

              一隠岐島

              一対馬

               の四場を、そして、洛中の北面の武士遠藤盛遠の若い頃の姿を演じそして老いへ

と進み、時と所を変えながら舞台は拡がる。場面の展開は後のカーテンの照明に

よって創出し、判断をお願いする。



              序



              熊野の山中。鬱そうと茂る木立、が 覆い、木漏れ陽として               

二条三条と降り注いでいる。

              そこに、貧しい庵がある。

              この舞台は、その中の明かりを中心 に演じられること。

              登場人物は、文覚一人である。



              開幕すると、暗闇。

              風が運ぶのか、

              護摩が炎える音、祈祷の声がする。                      

だんだん大きくなる祈祷の声。

              「オンサラバタタギャタ・・・」

              ゆっくりと、歩いてきて、舞台中央にどっかと座り込む。

              あるかないかのトツプがおりる。

              その中に文覚らしいが現われる。



文覚  やめた、やめた・・・バカらしい、愚かしい・・・。

 祟りを恐れてその霊魂を鎮めるための祈祷を・・・。

 それならばなぜに・・・、理不尽な行いをなさねばいいものを・ ・・。

 人とは、なぜに理性を保ちても、理性を壊し乍ら生き行くか。

 権力を欲しいままに生きた奴ほど、後悔の淵に身を沈め、神や仏 に縋ろうとする・・・。地獄をなして生きた奴が極楽へ・・・。 そんな虫のいい事がこの世の中にあってたまるか。つとめて、地 獄をなした者は地獄へ、そうのうてはこの世もあの世も平等とは いえぬ。



              護摩の爆ぜる音、祈祷の真に篭もっ た密経の経唱声音が              

続いている。



  その祈祷がどれほどの役割をするか?自らが罪業を感じ唱える 懺悔の祈りがのうては心安かろう筈もなかろう。まして、人によ りて挙げられる消滅の経が何の役をかこうぞ。



              風が大きく流れ灯火が揺らいだ。

              明かりが揺れること。

              文覚、包み込む空気を感じ取り、



  墨衣に沁み込む風の色はなんと心地よいのだろうか・・・。

  天宙に望月をつくりて、風の足音を変えだんだんと冬の訪れを 感じ取らせながら・・・。灰色の世界へ変えていく。

  人の世も、この自然の巡りの中で何の変わりがあろうか・・・ 。



  祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり・・・。



  人の欲が精舎をないがしろにしおって・・・。朽ちかけた社が 洛中は無論、洛外を覆い・・・。人の心は荒み・・・、さもあり なん、戦の血が滾る時、己れの胸中に仏生を見なくてはならんと きに・・・。人とはそのようなものか・・・。

 人の心は様々に色を代えながら、時と所を変えて生きていくもの 。

  仏が説いた、総ての命は隔たることはないとは・・・。思うに 今生にありて均しく同じではない故に仏の加護がいるのだ。縋る のだ。

  生まれし家、育てし大地、その取巻が人を変え、美醜、性別、 と、人とは何一つ平らではない。人はみな同じとは四苦のみでは なかろうか・・・。生きる苦しみ、老いの、病の時の、死への恐 怖、なん人もこの苦しみからは逃れられん。これは至極の真。

 その苦しみから逃れんが為、おのが生きる道を・・・。だが、思 うに任せぬのが人の世の習い。後悔とは悔いを後に残すこと、そ の事を忘れ・・・。



  それ以外はなんの事はない、なすままの人の世。



  この、文覚、出家して、熊野は那智の滝に打たれての荒行、命 がいくらあっても足らぬと余人は申したが・・・、命を捨てても いいとわしは滝の叱咤に身を任せたが、人懐う苦しさに比べれば 、手桶の水を被るようなものであった。とどまることとてない落 水と怒涛の音、それが汚れ、けがれた心までは洗い流してはくれ なんだ。



              真言密経の経唱が流れる。



  人とは、過去世の罪業を牽きずり乍ら生き、この世において尚 五欲に溺れし数多の偽りを阿羅耶識(アラヤシキ。無意識層の中 の八識。五感、六感と言う意味こそが意識の外、例えば七感は摩 那識という)に刻み込み次生へ・・・。その繰り返しの魂、四十 九日後には人は人として生まれ変わり、また・・・。同じ事を・ ・・。



  自然の理と同じ定め、かつて人が森羅万象に頭を垂れて祈り、 手を合わせて敬った、日輪、月、星、数多の営み、それを、人の 生き方の中に言葉として具現した教えが仏のもの。

  釈迦、が、感じ取った万物との馴れ親しみ方、その教えこそが 仏の根幹。人とは、自らの生き方を手の中に握ることもなくて、 どうして人が人をして教化することが出来ようか?



              「オンサラバタギャタ・・・。」

              文覚が唱え始める。

              一頻りその中に身を置き、しばらくして、「ほーぅ」と大きなた             

め息、洛中の賑わいの音。



  「遠藤盛遠!」の声がする。西行の声。



  遠藤盛遠・・・。懐かしい・・・。

  白河法皇に仕えし北面の武士・・・。

  十八の公達・・・。あの頃・・・。



              文覚は双眸を遠線に投げて、暫し。

 今、荒法師文覚と世間から声をかけられ、不適な奴と恐れられ。

              文覚は、不覚にも涙。



  袈裟御前殿・・・。貴女を見たときに、無常を感じました。

  貴女の前では、公達の威勢も消沈し、ただの男になりもうし懐 う苦しさで胸を掻き毟り、煩悩に身を妬きましたぞ。

  十二単に身を包みし白い雪のような肉身、すずやかなる双眸、 理知を表す鼻筋、蕾を乗せたような朱唇、床に拡がる美醜を分か つ黒髪、薄く控えめな化粧(けわい)、周囲に漂う女子の嗜みの 調合の香・・・。夕べに朝に、その事が脳裏から離れずに・・・ 。幾度となく、心鎮めて墨を擦り思いの丈を文字に変えてと・・ 。何度、筆が、手が、懐う心の様を映してはくれませなんだわ。  記すことはかなわなんだ、もどかしくも・・・。

  懐い苛立ち、庭の立ち木に太刀を振るい狂ったように舞ったで あろをか。



               文覚が太刀を降る真似。



  闇の夜に幾度駆け出して、貴女の幻を追ったであろうか・・・ 。洛中の人込みの中、行き来する女子に貴女の姿を見たであろう か・・・。落花に涙し頬に散る雫を手で拭うたか・・・。

  女子を掻き抱き、貴女を感じ様としたれども、より虚しさが募 り、余計惨めに沈む淵へ。恋、懐いとはこの様に身を切られるよ うな苦しみとは・・・。

  太刀捌き、弓、は誰にも負けることはないと自負していたが・ ・・、



  されど、



  御所を警護しているのもそぞろ、心は摂津の渡辺党へ・・・。 そなたは、源渡(みなもとのわたる)どの妹(つま)・・・。



  あの日。

  牛車を止め日除けを開け風を入れて・・・。そこに私が・・・ 。目と眼とがあった。なんという悪戯か・・・。



  洛中に淀んだ熱い風がなかったら・・・。



  貴女は柔らかい笑みを投げられた。その時凍り付いたように立 ちつくした私。

  牛車(ぎっしゃ)でのあの行いは、端た女の男を誘う仕草・・ ・。

  慎み深い女子は顔を人に見せぬもの、まして、妻(おっと)の ある身ならば尚更の事、あの時の偶然がなかったら、私の人とし ての径も違っていたであろうに。

  初心な私を玩ぶように、十二単の鮮やかな衿のすじ模様、その 時単衣の奥のふくよかな膨らみが私には見えた。見えることは終 ぞないものが・・・。あれは幻であったのか・・・。夢を見てい たのか?



  秋・・・。季節を忘れた陽炎か・・・。



  貴女が袈裟御前であることを知ったのは、同胞の囁き。

  この私とて、十三の時に女子の温もりを知っておったが、その 時の慄きより、総身ぶるぶる震るえながら漸く立っておった。

  その後、どのように帰ったかわからぬ。



  武骨な私は女子との出会いのやり取りをしたこととてなかった 。歌詠みを軟弱者とし、太刀に弓を励んだ生い立ち。

  歌を詠んだことはあるが、その筋に才はなかった。

  歌を詠み、それを届ける、恋の道筋はそこから始まり、という ことを知ったのは・・・。



  白河法皇が祇園女御殿の所へお通いになり、年端もいかぬ十数 歳の藤原の璋子(しょうし)と情を通わせていることを知ったと き、男と女の関係は道理とか理性では叶わぬ事と知りました。



  脳裏に焼き付いた貴女の笑みを、はろう てもはろうても浮か び現われる笑みを断ち切りながら・・・。



  ついに意を決して・・・。

  私は、源渡を呼び出し、したたか酒を振る舞いて白拍子を宛行 い、その交わす情を簾の外から眺め、その不貞に腹を立て、自ら の行為にも憤りを感じながらも、貴女の元へ走っていた。狂って いたのかあの時は・・・。

  寝所へ・・・。黒髪を横に流して十二単に包まれた貴女を後か ら・・・。夢中でその先が分からぬ。



  静まり返った屋敷の庭に月明かりの元ひとひらひとひらと散る 枯葉のしぐれ・・・。

  貴女の思いはその時赤い紅葉に変わり砕けて迸り散ったのか。

  貴女は十二単の胸を掻き合せながら、牛車の時と変わらぬ笑み をなげていた。なぜに・・・。わからぬ・・・。受け入れてくれ る笑みか、嘲りの笑みか・・・。その瞬間・・・。



  私が持っていた真の理性が揺らぎ、その真実の棲みかが空を飛  んだ。ゆえに、総てのものがこころのなかで砕けていた。



  貴女の笑みがなぜか得体の分からぬものの化のように見えた。 私は暫し忘我の中に身をおいて、過ぎ去りし十八年の年月を振り 還り道程を辿っていた。なぜか、穢らわしい、血に塗れたおのの きが襲いかかってきた。

  貴女は、尚も誘うような潤んだ瞳でじっと見つめ、単衣を割り 白い豊の肌を見せ・・・。

 「幾ら太刀や弓に長けていても、女子の色香には太刀打ちが出来 ぬぞえ」

  と誇らしげに言い、私の前に立ちはだかっているように思えた 。それは、男にはない生理か・・・。女子の持つ本性の性か・・ ・。男には解けぬ女子の心の綾取りか・・・。



  女子の真の姿体を見たように思った。



  気が付いたときには、私の太刀は貴女を貫いておった。貫かれ ても尚笑みを浮かべておった。

  今まで、いやこれからもあのような恐ろしさを感じることもな かろうと・・・。



  血を吸った太刀をだらりと垂らして朝焼けの静寂に包まれてい た。



  髷を切り、気が狂ったように走っていた。目の前を袈裟御前の 笑みが・・・。



  袈裟御前、もしや前世では不仲な妻と妹であったやも知れぬと ・・・。



  仏門に入って・・・。文覚として・・・。



  心を平静にして、総ての今までの理性を、知識を捨て、仏の御 心を識ろうと、仏典を貪り、行に励んだ。

  それは、己れの未熟を識り、また、奈落へ・・・。



  人とは何者ぞ。人とは・・・。



              明かりがだんだんと消えていく。



              破



              暗闇のなか、波の音が、

              静かに容明する。

              伊豆の奈古屋に在する文覚。

              胡坐を組み正面を向いて、



文覚  頼朝さま、藤原氏の摂関政治、白河法皇の院政、清盛の外 戚の政、それらの綻びが、繕うても繕うても・・・。己れの権力 の為に骨肉相争い人に非ずの行ない、正に終焉の時。荘園の國司 、郡司らは私腹を肥やさんが為に汲々、國民に何程の望みがあり ましょうや。



              文覚は立って、



  わしは、ある事情があって出家して・・・、己れの総ての過去 を断つために命を捨てての荒行をした。

 滝で終日打たれながら流しても流しても浮かび来る五欲の色香を 洗い落とそうとした。が・・・。所詮未熟な人間に何程の悟りが 得られようか。落胆とおののき、だが、それすらも持ちえていな かつた己れにとっては・・・

 ・。長い道程を彷徨い歩いたが末行き着いたところは高雄山の神 護寺、誰も居ない、明かりのない精舎ほど不気味なものはない。 野党に荒らされ、本尊は壊され・・・、それは、まるで洛中の乱 れ寂しい在り方の縮図・・・。この世の終わり、末世の様。



  風と雨と雪に曝されて朽ち果てるは精舎の定め。



  わしは、今までの罪業の消滅の為に、朽ちていく精舎を復興う することを誓うたのです。

  勧進帳を持って諸國を歩き十万の檀那、篤徳の人にそれを求め たが、僅かしか集まらなんだ。法力の限界、姿形は法衣にやつし ても五体に漲る法力がなく、説法は犬の遠吠えのごとし、それ故 に、我が身を呪い、その定めとして無常を感じたのはその時か。

  堪忍が足りぬ。法の力を受けながらなお己れの一念をも押さえ られぬとは。まだまだ修業が・・・。



  何時しか足は・・・、御所法住寺殿にて後白河院の前で、数多 の近従に勧進帳を読み上げていたわ。

  國法の何たるかを、如何に政はなされるべきか、政を司どる者 の心得、國民の窮状を救う手立てと策・・・。また、仏法はいか なる者に必要で、その神髄は、人の在り方、行く末を・・・。

  國法と仏法の一致こそがこの國を楽土にすると・・・。

  そのためには、全國に寺を建て高い塔を造りてこそと、それら の行ない、しかして、仏の教えを広めなくてはならん、骨肉相争 い、贅沢三昧の罰は刃となり降り注ぎ、火と為りて空を覆うであ ろう。

  わしは滔々と読み上げておった。

  それを制止しょうと、資行(すけゆき)判官が組みついてきお ったが、それを足蹴にし、続けようとしたとき、近臣が一度にわ しを押さえ込んでいた。

  獄に繋がれながらも、諸國の現状を喋りまくり、仏を大切にい たさねば・・・

  天は隠れ、火は降り続き、雨は都を湖と化し、病はこの國の民 を一人残らず殺し、その後に海に沈み・・・。

  あらんかぎりの声で喚き続け、その声は北の比叡山へ・・・、 南の高野山へ・・・、東の熊野へ・・・。

  その声に比叡の僧兵が山を下り・・・。わしを葬りに・・・。

  事があってはと・・・。

  後白河院は、わしを伊豆は奈古屋へ流罪。近藤四郎高に預けた のょ。

  わしの予言の通り、飢饉疫病蔓延し、都大路の人の行き来は影 をひそめ・・・。灯りなきは静寂をより深くし、音楽を持つ人は おらず、まして、啼く鳥、虫とてなく、社の影は冴々と月に下に 哀し・・・。



  それ故に・・・。わしの諌言がように効いたわ。



  それに慌てた後白河院は早速改め出した四十五箇条起請文によ って神護寺をはじめ息を止めていた寺院が再興されていく・・・

  人の情けとは・・・、なんと薄紙。その人情の上を法の杖を頼 りに・・・。杖に導かれながら歩幅を運び、有り難き教えを、人 の生き方へ教化。それらは方便、これぞ仏の言葉なり。発した言 葉が嘘偽りであった時に、これも方便に譬え真実の実りし時は極 秘の教えに・・・。空は誰が空と呼んだ。なあーに、方便の決め 事ぞ。

  分からぬ、知らぬ故に、仏が御座(おわ)しますのじゃぞ。



               文覚座って、



  今のわしは、仏の言う王仏冥合を説く法師になりもうしたわ。 仏と政を行なう王が一つになり、この國を天人常充満、仏国楽土 として・・・。

  それ故に、貴方に、いや、源頼朝さまに旗揚げを囁いておりま する。

  勅勘がどうのこうのと申しいる時ではありませんぞ。

  このわしが、後白河院より院宣を貰ろて帰ります故に、心の支 度だけはなさっておいてくださいませ。



  伊豆から新都福原へ・・・。後白河院の近臣の藤原光能(みつ よし)に逢い頼朝の勅勘を解き、そして、平家討伐の勅旨を貰い 受けて・・・。



  院宣を手にした頼朝は北条家と語らって・・・。

  平家打倒へ駒を進め、全国に散らばれし源氏の血筋へ糾合を呼 びかけ、旭将軍源氏木曽の義仲が京を焼き払い、黒焦げの骸人馬 の蹄の邪魔になり。その様を後白河法皇は恐れて、頼朝に・・・

  義経の過ぎたる果敢な奮闘が・・・。



  頼朝、平家を打ち払い、鎌倉に幕府を・・・。



  國が平穏になれば、わしの腹の虫がぞろぞろと・・・。その思 いを断ち切るために、荒行を積み、なれど袈裟御前のあの笑みが わしを穏やかな心にせなんだわ。



               明かりが揺れて、だんだんと何か に押し潰され、それに逆            

 らうように、

               文覚が狂ったように舞う。



  げに恐ろしきは、女人の祟りか・・・。

  じっとして仏の慈悲に縋ろうとすればするほど、笑みと、白い 肌に、黒髪に・・・。煩悩の炎が身を焦がして迫ったわ。



  文覚よ、このままで良いのか、もっと、血を流せ。人とは表は 綺麗でも腐ってゆくが常。おまえは、世の中を混乱の巷と化し、 地獄を造りてこそ、仏の有り難さを認識させる事が出来ると言う もの・・・。

  人の世、何時の世も罪業を背負い、苦しみ乍ら生き、生き行く ところにまた罪を重ねるが、この世。

  平穏の安らけき生業を与えてはならん。

  文覚、混乱を、戦乱を、人が人を殺戮する修羅の世界を・・・ 。餓鬼のように何でも欲しがり、畜生のように意地汚く、この世 を・・・。人間の愚かしさを思い知らせるのじゃ。

  故に、仏の使いを治し者、いち早く死を与え、苦しみから解き 放つことこそ務めなり。

  文覚よ、王仏冥合もまたしかし、故に、死しての楽土を説くの じゃ。文覚狂え、影になりて綾なせ。



  耳元で囁く声が・・・。



  人とは、なんと愚かしいのだろうか?



  大日如来、文覚未だ悟りえず、文覚これから如何様に・・・。

               文覚、正座をして、

               「オンサラハタタギャタ・・・」 

               と真言密経の経を狂ったように唱  え始める。

               文覚、すっくと立ち上がり、



 「土御門通親(つちのみかどみちちか)お命頂戴!」



               赤く染まって暗転。



               急



               暗闇のなか、波の音が打ち続く。                             

老いを迎えた文覚がいる。

               明かりは弱いのものでよい。

               横臥していたのか、ゆっくりと起き上がり、ハットして立ち、



文覚  龍王やある!龍王出て参れ!

  このわしは、大日如来に仕えし、聖者なり。

  なにゆえに、その尊き者の行く通を塞ごうとするのか。

  竜神は、わしが師匠不動明王の手の者ではないか。

  聖者尊者の邪魔を致すと、この海を空に上げ、水なき海で火に 妬かれようぞ。その覚悟がありてこのわしにあがなうのか?



  荒れ狂う海は静まり・・・。あの時、わしには法力があったの か?龍王はたちまち息を潜め、平らな道のりを・・・。

  伊豆への・・・。それも仏のお導きか・・・。

  頼朝を唆し國家転覆を・・・。

  後白河院を愚弄罵倒し寺院の再興復興をなさしめ・・・。

  朝廷の改竄を謀り対馬へ流され・・・。

  今、荒波がうち狂う、海峡に浮かぶ僅かの島へ・・・。



  このわしの一生は一体なんであったのか・・・。

  白河法皇の北面の武士として、遠藤の家を世に広めんとしたが 、そのために、太刀に弓を習い、盛遠は女の扱いも知らぬ武骨者 ょ。

  歌も詠めない才もない能無しよと。

  あの屈強な体躯、厳(いかめ)しい面構え、まるで東大寺は仁  王のようじゃ。

  盛遠が行くと泣く子も黙る居丈高、恐い丈夫・・・。近寄って はなりませんぞと・・・。

  ハツハツハ・・・。なにが、何程のことがあろうか・・・。



               文覚、狂ったように、

               何かのものの化が・・・。

               夢の中で・・・。



  おう、おう、そこに・・・。北面の武士佐藤義清、いや円位上 人、いいや歌人の西行法師・・・、久しぶりだな。

  一瞥以来・・・。あれは、熊野であったか、吉野、いや斑鳩、 飛鳥、また、京であったか・・・。

  近ごろは、とんと物忘れが・・・。波の音と、風の囁き、鳥の 囀り、自然の理の中で息繋いでおると、心平安になり、至福の境 涯についつい溺れおのが為すべき事を忘れ、時の移ろいに流され ・・・。

  西行法師よ、おまえが此処におれば、様々な歌を詠み残したで あろうのう。

  はじめてお前の、歌詠みの気持ちが分かるぞ。

  花に月に、なぜに拘ったかの思いが・・・。

  わしの命の中で、何が不覚かというと歌詠みの術を学ばなんだ という後悔ぞ。

  歌は欲心なき者が為すが神聖な儀式か。

  自然の理に身を擦り寄せていると、なんと母じゃの腕に抱かれ ているようじゃ。その自然を歌ったお前は、母を歌ったことにな る。なんという羨ましさじゃ。

  軟弱者の西行、と・・・。お前の命、今確かにあい分かったぞ 。何者にも思いを曲げず、流れに身を任せた、ほんにお前は自然 そのもの。

  聞き及ぶところによると、歌とは何かと問われた時、

  「歌とは仏の真の姿である」と・・・。

  正に、その言は至極・・・。それはお前のもの。



  西行法師よ、この文覚、

  道こそ違え、わしは善き朋を持ったと・・・。

  西行法師、円位上人、北面の武士佐藤義清。

  西行、わしは漸く気が付いた。人は仏にはなれぬと・・・。

  仏に近ずこう、なろうとは傲慢の極み、人は人として為すまま に生きてこそ、定めに沿って生きてこそ、それが仏の御心である と。

  西行が自然に、歌に仏を見たならば・・・。

  だが、わしに摂っては、

  仏とは慈悲、慈の心は広く高い父の愛、悲の心は大きく深い母 の愛。いまになって思うが、両親が正に仏・・・。

  産み育んでくれたその思いが、仏だったと・・・。



               文覚が静かに正座をする。



  今まで何を致していたのであろうか。

  この歳まで。悪戯に走り、急ぎ過ぎていたのか?

  思うに任せぬ世の中を、思うが方向へひん曲げようとしていた のか。

  おのが才覚を、世が認めぬと、いや認めさそうと・・・。

  静かに、流れ行く時の世をじっと見つめ、為すがままに・・・ 。それこそが・・・。

  王仏冥合・・・。それは、今の世には早すぎたのか。

  なぜに、わしごときがたいそうな事を考えたのか。

  一介の荒法師が・・・。



  老いて懐うては遅いか。

  見えなんだものが見える一つ一つの動きが・・・。そこに命が あることが・・・。



               文覚が立ち上がって、



  袈裟御前、許してくれ。

  総てのわしが為した仕業を貴方の精にして・・・。



  あの時の笑みは・・・。

  わしの行ないを許すという意味の笑みであったのか?

  今のわしには、そのように思われる。

  この世で心底懐うたのは、貴女であったと。

  貴女も・・・。



  あの時の笑みは・・・。わしだけへの笑みであったと懐いたい 。わしの心には今でも、これからも変わる事無くあの時の、

  牛車の日除けを開けて目があったままのもの。



  あの恐ろしさは、貴女の変わり行く思いが・・・。誰にも渡し とうないとの・・・。

  いつまでもかわらぬあの頃の姿に止めおくことで・・・。



  北面の武士遠藤盛遠、荒法師文覚。



  男波(おなみ)、女波(めなみ)が・・・。いたわりあい、ゆ るしあいながら、潮騒となりてともに天に砕け・・・。



 願はくは花の下にて春死なん、その如月の望月のころ



  不覚、文覚・・・。



  ただ今、そなたの下へ・・・。



               文覚が太刀を自らに降る。

               明かりが赤く染まる。

                        幕



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